阪神大震災の時水道局の建物は臨時の死体安置所だった

阪神大震災からもう四半世紀ですが、この後もう1度大地震に見舞われていますから、日本は地震大国ですね。阪神大震災の時、神戸で布団屋さんをしている友人から聞いた話です。
震災の後、多くの建物が被災しましたが、神戸市水道局の建物は被害を免れたそうです。場所が足らない関係で、水道局の建物は臨時の死体安置所になりました。そこへ発注された毛布を納品に行った友人は、入り口から入った時、中が騒々しい事に気が付きました。建物の至るところから話し声が聞こえてきました。



全室が死体の安置場所になっていて無人のはずです。不思議に思って受付けにいた警備員に聞いてみた。


と言って、申し送りのノートを見せてくれました。そこには、
『4階の会議室から内線が鳴りますが、出ないでください』
『2階の○号室から味噌汁の匂いがした』
『3階の○号室から足音と話し声が聞こえますが、無視してください』
等々、びっしりと書かれてありました。東日本大震災の後、警備に全国から警察官が派遣されました。それに行かれた方が、こんな話を聞かせてくれました。派遣された当初、パトロールは2人で廻っていたそうです。夜、海岸線を見廻っていますと真っ暗な波打ち際に大勢の人が出て、何やら作業をしています。声をかけない訳にはいきませんので、

と声をかけて2人で堤防を越えて海岸へ降りました。その途端、人の気配が消えました。大勢の人が確かにいたのに、海岸へ降りた時、そこには瓦礫の山が拡がる暗い無人の海岸だけがありました。この後、パトロールは3人体制になったそうです……

